圧倒的な存在感!長崎沖に浮かぶ廃墟の島、「軍艦島」に上陸してきたよ

2013年 9月 12日
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こんにちは、ロプロス(@ropross)です。

今年の3月に長崎旅行に行ってきたのですが、その時に長年の念願だった、「軍艦島」に上陸してきたので、レポートしていこうと思います。

軍艦島は正式には端島(はしま)といい、長崎半島の沖合4.5kmの位置に浮かぶ、南北480m、東西160m、周囲1.2kmの小さな島です。

明治の頃より海底炭鉱として栄え、最盛期の昭和30年代には約5300人もの人々が住み、東京都の約9倍という世界一の人口密度を誇っていたそうです。

狭い島に高層建築が密集して並ぶその外観が、軍艦「土佐」に似ていることから、その名で呼ばれるようになりました。

しかし、国のエネルギー政策の転換から、石炭の採掘量は減少していき、炭鉱は1974年(昭和49年)に閉山。ほどなく島民は全て退去し、無人島となった軍艦島は、島全体が廃墟と化しました。

そして時は流れ、風雨や高波に洗われた建造物は徐々に崩壊していきます。朽ちていく建物群が小さな島に密集するという異様な姿は、いつしか廃墟マニアだけではなく多くの人々の心を惹きつけるようになり、今では日本一有名な廃墟として知られるようになりました。

そんな軍艦島ですが、危険な箇所が多いため、最近まで立ち入りが禁止されていました。
しかし、この島を観光資源として注目した長崎市により、現在では見学ルートが整備され、2009年から一般の観光客でもツアーに参加すれば、気軽に見学しに行くことができるようになっています。

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軍艦島に上陸する前日。気分を盛り上げようと思い、まずは長崎半島の先端近く、軍艦島の対岸に位置する野母崎の「軍艦島資料館」を訪れました。
長崎市内からは車で40分くらいの場所にあり、入館料は無料です。

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軍艦島を空撮したパネルが出迎えてくれます。

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資料館の中へ。
炭鉱内部の写真と、採掘された石炭が展示されています。

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往時の島民の暮らしや炭鉱の様子を撮影した写真や、島に関するさまざま資料が並んでいます。

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資料館横のデッキからは軍艦島の姿を望むことができます。
ここで初めてその姿を目にしましたが、この距離からでも伝わってくる異様な存在感です。

 
さて、翌日。いよいよ軍艦島見学へと向かいます。

軍艦島見学ツアーを主催しているところはいくつかありますが、その中からWebサイトの造りが良く、ネットで調べた評判も良かった「軍艦島コンシェルジュ」さんを選びました。

予約はWebサイトから可能で、ツアー料金は3600円(土日祝は3900円)。これとは別に軍艦島の入場料300円がかかります。

ツアーは午前・午後の一日2回運航されますが、午前の部に参加することに。
乗船場は常磐桟橋。大浦天主堂やグラバー園の近くです。
10:10に集合し、説明を受けてから10:40に出航、13:00頃に帰港というスケジュールになっています。

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定員130名という大きなクルーザーに乗り込みます。
船内は座席もしっかりしていてトイレも完備。なかなか快適です。

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出航しますー。

天気はあいにくの曇空ですが、廃墟を観に行くのには、これくらいのほうが雰囲気いいかも。

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少しずつ離れていく長崎の街。

クルーザーはデッキにも座席があり、潮風にあたりながら、周囲の風景を楽しむこともできます。

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女神大橋の下をくぐり抜けました。

船内では、ガイドさんが軍艦島に着くまでの間、船から見える港湾施設や他の島々などの説明や、軍艦島に関する概要を詳しく話してくれます。

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右手に軍艦島と同じく炭鉱として栄えた高島が見えてきました。
こちらの島には、炭鉱が閉山となった現在も700人程が住んでいるそうです。

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出航して20分ほど。軍艦島の姿が近づいてきました。

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上陸する前に、島の周りをぐるりと一周してくれます。

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うおおお、なんだこりゃ・・・今までに見たこともない奇観に早くも圧倒されます。

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クルーザーがさらに島に近づくと、コンクリートの建築物の細部まではっきり見えてきました。

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このひときわ目立つ7階建ての白い建物は、端島小中学校。
1階から4階が小学校、5階と7階が中学校、6階は講堂や図書室などがあったそうです。

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軍艦島は本来、現在の1/3程度の面積しかなかったのですが、6回に渡る埋め立て工事によって、現在のような形になったそうです。

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学校の隣に見える大きな建物は、軍艦島最大のアパートだった65号棟。
屋上には幼稚園があったそうです。

島内の建物には、このように番号が付けられています。
1号の神社から71号の体育館まで、多くの建物が建設されました。

島内の建物にはエレベーターはなく、階段で昇り降りしなくてはならなかったそうです。
9階建てとかの建物もあったのに大変そう・・・

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島の北側から西側へと回りこんでいきます。

一番手前に見える低め建物が病院です。常に危険と隣り合わせの炭鉱の島には、欠かせない施設でした。

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島の西側には、数多くのアパートが肩を寄せ合うようにして立ち並んでいます。

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おおお?堤防の上に釣り人がいる?入っていいものなの??

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折り重なるように林立するアパート群。
どんな大都会でもありえないような、過密っぷりです。

しかし、そこに人々の生活の臭いは全くなく、あまりにも現実感のない光景です。

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島の南西まで周ったところで、クルーザーは一旦島全体が見えるところまで離れていきます。
この角度から見る軍艦島が、最も軍艦の姿に似ているのだとか。

おー、これは確かに遠くからだと、軍艦と見間違えてもおかしくなさそうですね。

「米軍が本物の軍艦と間違えて魚雷を撃ち込んだ」という逸話も伝えられていますが、実際は島に停泊していた石炭運搬船を狙って魚雷を発射したのが、そのようにすりかえられたそうです。

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再び島に近接します。

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コンクリートの表面がボロボロに剥がれ落ちているのがはっきりわかります。

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丘の上にはかつて端島神社がありました。
拝殿はすでに倒壊し、現在は小さな祠が残るのみです。

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島を一周したところで、クルーザーは島の東岸にあるドルフィン桟橋に接岸します。
防波堤も何もなく、接岸するのがかなり難しいため、波の高い日は上陸することができないこともあるようです。

「軍艦島コンシェルジュ」では、出航した場合の上陸率は96%とのことですが、万一上陸できなかった場合には、島の入場料と、ツアー料金の10%が返金されるそうです。

この日の波は幸い穏やかで、無事上陸することができました。

桟橋からは鉄製の橋を渡って、いよいよ憧れの軍艦島に足を踏み入れます。

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軍艦島内には、南東側から南側にかけて約220mの見学通路が整備されていて、それ以外の場所への立ち入りは禁止されています。

つまり、実際に間近で見学できるのは島のほんのわずかな部分だけで、先ほど見てきた北側の学校や病院、西側のアパート群には近づくことすらできません。また、当然のことながら、建物の内部に入ることもできません。

残念ですが、老朽化した大型の建造物には崩落の危険もありますので、仕方がありませんね。

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おおう・・・これは・・・

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目の前に広がるただ瓦礫と遺構のみが残る風景。言葉が出てきません。

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島の東側には住宅などの建物は少なく、貯炭場などの炭鉱関連施設が並んでいたようです。
それも長年の風雨や高波によって崩壊し、今では無残な瓦礫となって散乱しています。

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2本ずつ並んだ柱は、精選された石炭を貯炭場に運ぶベルトコンベアの支柱だったそうです。

その向こう側には、先ほど海上から見た学校と島内最大のアパート65号棟の姿があります。

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島のほぼ中央の高い位置に建てられたアパートは、幹部職員が住んでいた3号棟。風呂付き全室オーシャンビューの好物件です。
島内の住宅で風呂が付いているのはこの3号棟だけだったんだとか。

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桟橋から50mほど歩いたところで、第1見学広場に到着します。

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ガイドさんがここから見える各施設について説明してくれます。

この日、案内してくださったのは女性のガイドさんだったのですが、とても語りが上手な方で、当時の島民の暮らしや炭鉱での仕事の様子を、情感たっぷりに話してくれます。
特に坑内の事故で亡くなった炭鉱マンが仲間と共に地上に上がっていくシーンは、まさに「名演」でした。

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丘の頂上にある建造物は貯水槽。
1957年(昭和32年)に対岸からの海底送水管が敷かれるまでは、給水船により運ばれた水がここに蓄えられて、島民の生活に使われていました。

ちなみに、水と並ぶライフラインの電気も、大正の頃から海底ケーブルで送電されていたそうです。

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トンネルの跡のような遺構。

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かつてはこのあたりに巻揚櫓が建っていたらしい。

北海道の炭鉱跡ではシンボルのように残っている巨大な巻揚櫓をよく見かけますが、さすがにこの島では風雨に耐えることはできなかったのでしょうね。

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主力坑だった第二竪坑への入り口となった二坑口桟橋の跡。

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まるでここだけ色彩が復活したかのように、鮮烈な印象を残す赤いレンガ。

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第1見学広場からさらに50mほど歩くと、第2見学広場に着きます。

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赤いレンガの壁が残る建物は、炭鉱の中枢だった総合事務所。
すでに建物の大部分は崩壊し、原型を留めていませんが、残された赤い壁は、まるで何かを今に伝えるかのように佇んでいます。

炭鉱マンのための共同浴場もここにあったそうです。その浴槽はいつも真っ黒だったんだとか。

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二坑口桟橋へと登る階段が、崩落せずに残っています。
炭鉱マンの緊張感と安堵感が交錯した場所です。

真っ暗で危険な坑道へ向かうのは、一体どんな気持ちだったんだろうか?

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貯水槽の隣には灯台が見えます。これは閉山後に建てられたものだそうです。

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見学通路は南側へと続いていきます。

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鍛冶工場だった建物。

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プールの跡。底に引かれたラインに、その面影が見て取れます。
水は海水を使っていたそうです。

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ぽつりと残る仕上工場だった建物。
周囲にもいくつかの建物があったようですが、それらは完全に崩壊してしまったようです。

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見学通路の最終地点、島の南端に位置する第3見学広場に到着しました。

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正面に見える7階建ての建物は30号棟。
1916年(大正5年)に建設された、日本最古の鉄筋コンクリート造高層アパートと言われています。

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30号アパートの隣にある、「く」の字型に曲がった建物は、1957年(昭和32年)に建てられた31号棟。島内では比較的新しい建物です。
地下に一般用の共同浴場があり、1階には郵便局や理髪店などがありました。

さすがに5000人もの人が生活していたので、島内には生活に必要な施設だけでなく、映画館やパチンコ店、スナックといった娯楽施設も揃っていたそうです。

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これらの住宅に暮らしていた炭鉱マンとその家族ですが、過酷で危険な仕事の見返りとして給与は高く、その上、家賃・電気・水道・ガスが無料だったため、生活水準は本土と比べても非常に高かったのだとか。

昭和30年代、「三種の神器」と呼ばれたテレビ・冷蔵庫・洗濯機の普及率が、本土では20%くらいの頃に、すでに100%近くあったそうです。

軍艦島は、時代の最先端を行く、近代都市でもありました。

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さて、帰りは来た道をそのまま戻っていきます。

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約50分ほどの滞在時間はあっという間に過ぎ、島を離れる時間となりました。

ドルフィン桟橋に戻り、クルーザーに乗り込みます。

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島影が遠く離れていきます。さようなら、軍艦島。

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乗船記念のカードが貰えました。


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軍艦島はずっと昔から行きたいと思っていた場所なので、念願叶って大満足の見学ツアーでした。

見学している間は、これまでに見たこともないような光景にすっかり魅了され、「うわー」とか「おおおー」とか「すげー」とか、感嘆の言葉しか出てきませんでした。

寂寥、哀愁、好奇、興奮、畏怖・・・訪れた者の胸に、これほど様々な想いを抱かせる場所はなかなかないと思います。

この軍艦島ですが、日本の近代化を陰から支えた産業遺産としてアピールしていこうという動きも活発で、世界遺産への登録を目指す運動も行われているそうです。
既に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産暫定リストに記載されているそうなので、いつか世界遺産に登録される日が来るかもしれませんね。

現在はGoogleのストリートビューでも島内の様子を見られるようになり、見学ツアーでは行けないところの様子まで見ることができますが、やはりこの圧倒的な存在感や滅び行くものの美しさは、現地を訪れてこそ伝わってくるものでしょう。

ぜひ、軍艦島を実際に訪れて、他では味わえない雰囲気を体感して貰いたいなと思います。

ではでは、またー。

(旅行日:2013年3月23日)