こんにちは、ロプロス(@ropross)です。
先日の北東北鉄道旅で、平泉を訪れたときの旅行記です。
前のエントリーでは、毛越寺にお参りしたときのことを書きましたが、そのあと、「平泉文化遺産センター」で奥州藤原氏や世界遺産に登録された史跡について勉強してから、金色堂で有名な中尊寺を訪ねました。
▼庭園が見事な平泉の世界遺産、「毛越寺」にお参りしてきたよ | ロプログ
中尊寺は、毛越寺と同じく850年に慈覚大師円仁によって開山されました。その後、奥州藤原氏初代の清衡の時代に、長く続いた戦乱により亡くなった人々の霊を慰めるため、数多くの伽藍が造営されたそうです。
現在でも金色堂をはじめとして、貴重な国宝や文化財が遺されており、奥州平泉に花開いた平安時代の文化を今に伝えています。
巡回バスを降りて中尊寺の表参道へ。月見坂と呼ばれる坂道になっています。
結構急な登り坂です。
坂を登り始めて最初に現れる八幡堂。
さらに登っていくと右手に物見台があります。
広がる平野と北上川が望めるのですが、天気が悪くて眺めも今ひとつ冴えなかったので、写真撮り忘れw
雨の古刹にアジサイはよく似合いますね。
坂道の両脇には大きな杉の木が立ち並んでいます。
薬師堂。
観音堂。
境内にはこのように、祀られている仏様の名前のついたお堂が数多く点在しています。
坂道を登り始めて10分ほどで、本堂前の門にたどり着きます。
中尊寺の本堂。明治42年に再建されたものだそうです。
本堂内にはご本尊の釈迦如来が安置されています。
峯薬師堂。薬師如来が祀られているのですが、目にご利益があるそうです。
目を日々酷使している私は念入りにお参り。
峯薬師堂を別の角度から。
木々の緑とも美しく調和しています。
不動堂。
大日堂。
鐘楼。梵鐘は1343年に鋳造されたもので、現在では衝かれることはほとんどないのだとか。
境内のほとんどの場所は無料で周れるのですが、金色堂や経蔵にお参りするには、拝観料(800円)が必要となります。
拝観料を支払い、いよいよ金色堂へ。
京都の金閣寺のようなものを想像して来て、がっかりする人もいるらしいですが、金色堂はこの覆堂と呼ばれる建物の中にすっぽりと収められていて、外からはその姿を見ることができません。しかも、覆堂の中でも、ガラスのケースに収められ、厳重に管理されています。
平泉文化の象徴とも言える金色堂は、奥州藤原氏初代の清衡が1124年に建立したもので、中尊寺創建当時から残る唯一の建造物だそうです。
堂は内外共に総金箔貼りになっていて、その眩い金ピカっぷりだけでなく、柱や天井、須弥壇などに施された精巧な装飾にも圧倒されます。これは凄いー!これでガラス越しでなければ、もっとリアルに質感が伝わってきたのに。
須弥壇には、ご本尊の阿弥陀如来、脇士の観音菩薩、勢至菩薩、六体の地蔵菩薩に持国天、増長天と、多くの仏様が鎮座していて、その下には、初代清衡、二代基衡、三代秀衡の遺体と、四代泰衡の首級が安置されているそうです。
900年近くも前に、京都から遥か離れた奥州の地で、これほどのものが造られたというのは驚きですね。奥州藤原氏の栄華が偲ばれます。
残念ながら金色堂は撮影禁止だったので、写真はこちらの公式ページでどうぞー。
金色堂の奥に佇む経蔵。重要文化財に指定されています。
平安時代の古材を使い、鎌倉時代に建てられたものと言われているそうです。
木々の間にひっそりと建つ天満宮。
この地を訪れ、「五月雨の降のこしてや光堂」の句を詠んだ松尾芭蕉。
阿弥陀堂。
宝物館や能舞台など、まだ見ていないところもあったのですが、電車の時間が気になるので、ここで切り上げて月見坂を下り、バス停へと戻りました。
バス停と月見坂の登り口の間にある武蔵坊弁慶の墓。
源義経と共に平泉に流れ着いた弁慶は、主君を守りこの地で命を落としたと言われています。
月見坂の途中にあった売店で売っていた弁慶餅。
割り箸に刺さった3つの平たいお餅に、味噌を塗って焼いたものです。うむ、力が出そう。
毛越寺と中尊寺でそれぞれ御朱印を頂いて来ました。
毛越寺の「薬師如来」の文字も、中尊寺の梵字もかっこいい。
木立に覆われた山の中という環境や、平安時代から続くという古い歴史もあってか、この中尊寺には、これまで訪れた数多くの寺社の中でも、指折りの荘厳な雰囲気を感じました。あまり歴史や寺社に興味が無いという人にも、訪れて貰いたい場所ですね。
平泉には世界遺産に登録された史跡が5ヶ所あるのですが、今回は時間がなくてそのうち毛越寺と中尊寺の2ヶ所しか周ることができませんでした。
そもそもたった4時間くらいで周ろうというのは無理がありましたねw
次回はまた平泉と奥州藤原氏についてしっかり勉強してから、ゆっくりと時間を取って訪問したいと思います。
それでは、またー。
(旅行日:2013年7月11日)