【南近畿旅行記#10】の続きです。
昼前までのんびりしてから「浜千鳥の湯 海舟」をチェックアウト。
せっかく白浜に来たんですが、今回は「海舟」での宿泊がメインだったので、アドベンチャーワールドにも千畳敷にも寄らずに、次の目的地を目指しました。
田辺市から再び内陸に入り50kmほど。「日本三美人の湯」の一つに数えられる龍神温泉に来ました。
日高川沿いに何軒かの旅館が並ぶ、なかなか風情のある温泉地です。
江戸時代には紀州藩主もお気に入りだったとか。
日帰り入浴施設、「龍神温泉 元湯」に入ることにしました。入浴料は700円。
元湯の露天風呂。
お湯は重曹泉で、さすが美人の湯と言われるだけあって、つるっつるのすべすべ。
もちろん源泉掛け流しです。
温泉の休憩所でおやつを頂きます。
「デンマーク」というベーカリーで買ってきた田辺の新名物、「たなべぇサンド」。
紀州うめどりと紀州梅のソースを使ったバーガーです。
梅の酸味とチキンが良く合ってこれは旨い!
ここからさらに一気に移動。高野山へと続く高野龍神スカイラインを走ります。
天気が良ければ風光明媚なドライブルートなのですが、残念ながら、この日もずっと曇か雨。
どこにも寄らずに、旅の3日目にも訪れた高野山の麓の町、九度山まで走り抜けました。
九度山は、関ヶ原の戦いに敗れた真田昌幸・幸村親子が高野山に仮寓した後に、移り住んでいた土地です。
町のあちこちに真田家の家紋、六文銭を見ることができ、長野県の上田や松代と同じく、真田家ゆかりの地であることをアピールしています。
真田親子が暮らしていたという屋敷跡には、善名称院というお寺が建てられていて、真田庵とも呼ばれています。
真田昌幸・幸村・大助の真田家三代の御霊が祀られている、真田地主大権現。
この地で没した真田昌幸の墓。
二度に渡って徳川軍を破り、家康を震撼させた戦国きっての名将も、この地で不遇の晩年を過ごしました。
小さな墓碑から昌幸の無念が伝わってくるようです。
真田幸村公碑。
この云われのありそうな石碑にも、本名の「真田信繁」ではなく、史料的裏付けのない「幸村」の名で刻まれています。
真田家臣一族の慰霊碑。
真田庵の境内には、真田家に関わる品々が展示されている、宝物資料館が建てられています。
入館料は200円。無人なので入り口の料金箱にお金を入れます。
館内はこじんまりとしているのですが、歴史ファンなら思わず「うおおおー!」と歓声をあげてしまうような、真田親子ゆかりの貴重な品々が並びます。
真田幸村が大阪夏の陣で使っていたという槍先。
真田軍が使用していた六文銭の陣幕。
真田幸村が使っていた飯盒。
蟄居生活を送る真田昌幸が彫ったと言われる木彫の犬。
この他にも幸村直筆の書や武具、真田紐などが展示されていて、歴史のロマンにどっぷりと浸ることができました。
町内の電柱には真田十勇士のイラストが描かれています。
真田の抜け穴。
実際には古墳なのですが、真田幸村はこの穴を抜けて九度山を脱出し、大阪城に向かったという伝説が残されています。
この地で生涯を閉じた昌幸。この地を抜けて大阪の陣で華々しく散った幸村。
それぞれの人生に思いを馳せつつ、九度山を後にしました。
東へ向かい、この日の宿泊地、古市口へ。
本当は桜の名所、吉野山の旅館に泊まりたかったのですが、さすがにこのシーズンでは予約が取れず、近鉄電車一本で吉野山まで行ける、この場所に宿を取りました。
お世話になったのは旅館、「松月館」。
和室が数室だけの小さな旅館で、特別な設備やサービスなどはないのですが、この時期に吉野山の近くという場所でリーズナブルな価格で泊まれるのはありがたいですね。有線でのインターネットも利用することができました。
翌日に吉野山の桜を見に行く予定なのですが、夜桜のライトアップも行われているそうなので、下見も兼ねて行ってみることにしました。
下千本の七曲りの夜桜。ちょうど満開で見頃を迎えていました。
ライトアップが行われているのは山のほんの一部だけで、夜桜を見に訪れる花見客はそれほど多くはないようです。
昼に見る桜も良いのですが、夜闇に浮かぶ桜には、胸に迫るような格別の美しさがありますね。
明日のお花見本番に期待を膨らませつつ、夜の吉野山を後にしました。